■ 銀閣寺 |
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室町幕府8代将軍足利義政が西芳寺をモデルに造営した東山殿の跡。義政の死後、遺言により夢窓国師を開山として臨済宗相国寺派の寺院になったのが銀閣寺です。 一般的に銀閣寺と呼ばれて親しまれていますが、正式には義政の法名から「慈照寺」といいます。 銀閣寺は、戦火に巻き込まれたためほとんどが焼失してしまいましたが、唯一銀閣と東求堂が焼失を免れ、今日東山文化の貴重な遺構を見ることができます。金閣寺に代表される北山文化の華やかさに比べ、銀閣寺は東山文化の「侘び」「さび」の世界が感じられるお寺です。世界遺産。 |
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場所:京都市左京区銀閣寺町2 |
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銀閣寺【お寺紹介】 |
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■ 哲学の道 |
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若王子橋から銀閣寺橋まで続く疏水沿いの約2kmの散策路。 大正時代、京都帝国大学の西田幾多郎や河上肇、田中元ら哲学者が、思索にふけりながらよくこの道を歩いていたことから「思索の小道」と呼ばれ、いつの頃からか「哲学の道」へと変わっていったそうです。 春は桜、秋は紅葉で美しく彩られ、特に観光シーズンにはたくさんの方が訪れる人気の名所です。 |
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場所:−−− |
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哲学の道【お寺紹介】 |
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■ 法然院 |
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法然上人ゆかりの寺で、弟子の住蓮、安楽とともに六時礼賛(阿弥陀仏を昼夜に六回拝む)を修行した旧跡。 境内には、本堂、経蔵、書院、鐘楼などが立ち、本尊の阿弥陀如来は恵心僧都の作と伝えられています。また墓地には、谷崎潤一郎や河上肇などの著名人の墓もあります。 静寂に包まれて佇む法然院ですが、春は椿、秋は紅葉の名所として有名です。堂内は通常非公開ですが、春と秋に特別公開が行われています。 |
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場所:京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町 |
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■ 安楽寺 |
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法然の弟子・住蓮房と安楽房が開いた念仏道場の旧跡。 後鳥羽上皇の女御、鈴虫と松虫がこの2人の僧の法話を聞いて密かに出家。そのことを知った後鳥羽上皇が怒り、この二僧を死罪に処し、松虫と鈴虫は悲しみのあまり自害。連座した形で法然が流罪になったという「承元の法難」で知られる寺です。 事件後、道場は荒廃してしまいましたが、1681年(延宝9)に両僧の供養のため、当地に伽藍が建立されました。境内には二僧の墓や、松虫・鈴虫の墓があります。 |
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場所:京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町21 |
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■ 霊鑑寺 |
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1654年(承応3)に後水尾天皇皇女・多利宮が創建し、以後明治まで住職に皇女が入寺した、南禅寺派の尼寺跡寺院。 皇室との関係が深いことから、御所人形や歴代天皇の遺愛の香炉、書画などが所蔵されています。 境内には後水尾上皇遺愛の日光椿をはじめ、多くの珍しい椿があり、椿の名所としても知られるお寺です。 |
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場所:京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町12 |
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■ 大豊神社 |
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当初は椿ヶ峰天神と呼ばれ、背後の椿ヶ峰山中にありましたが、寛仁年間(1017〜21年)に現在の地に移されました。一般的には「ねずみの社」として知られ、末社の大国社には、大国主命を助けたという故事にちなみ、狛犬のかわりに狛鼠が鎮座しています。さらに日吉社には狛猿、愛宕社には狛鳶などが置かれています。 |
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場所:京都市左京区鹿ヶ谷宮ノ前町 |
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■ 熊野若王子神社 |
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1160年(永暦元)に紀州の熊野権現を勧請したとも、平安初期に真紹が禅林寺を創建した時に、その鎮守社として祀ったのに由来するとも伝えられている「熊野若王子神社」。 熊野神社、新熊野神社とともに並び、「京都三熊野」の一つに数えられている神社です。 神木の梛は、昔、紀州の熊野詣や伊勢神宮詣の際に、禊の木として用いられていたといわれています。秋には境内は紅葉で彩られ、紅葉の名所としても知られる神社です。 |
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場所:京都市左京区若王子町2 |
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■ 真如堂 |
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円仁が唐から帰朝する時に船上に現れた阿弥陀如来を彫刻して延暦寺の常行堂に祀り、984年(永観2)に戒算がこの像を移したのがはじまりという「真如堂」。 広い境内には塔頭や三重塔、重要文化財の本堂が並ぶ天台宗の古刹で、正式には「真正極楽寺」といいます。 真如堂では、毎年11月5日〜15日の間、十夜の念仏をつらぬいて極楽浄土を願う「十日十夜別時念仏会」が行われ、最終日には15日にのみ秘仏の本尊・阿弥陀如来立像が開帳されます。境内は紅葉の名所としても知られ、秋の景色を楽しみに足を運ばれる方も多いです。 |
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場所:京都市左京区浄土寺真如町82 |
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■ 金戒光明寺 |
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1175年(承応5)、法然が比叡山を下りて念仏道場を開いたことにはじまる「金戒光明寺」。 知恩院、知恩寺、清浄華院に並び、京都の浄土宗四か山の一つに数えられる大寺院です。伽藍は応仁の乱等で何度も焼失してしまいましたが、その都度再考されました。 山門、経蔵、御影堂、阿弥陀堂などのほか、多くの塔頭寺院が立ち並び、丘の上に立つ文殊塔と呼ばれる三重塔は、1633年(寛文10)に徳川秀忠の菩提を弔うために建てられたもので、重要文化財に指定されています。 幕末、会津藩主・松平容保が京都守護職として着任したとき、ここに本陣を置いたことでも知られ、”黒谷さん”の呼び名で親しまれているお寺です。 |
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場所:京都市左京区黒谷町121 |
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■ 京都の旅行コース |
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