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金閣寺にならい、室町幕府8代将軍足利義政が西芳寺をモデルに造営した東山殿の跡。義政の死後、遺言により夢窓国師を開山として臨済宗相国寺派の寺院になったのが銀閣寺です。一般的に銀閣寺と呼ばれて親しまれていますが、正式には義政の法名から「慈照寺」といいます。 |
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総門から約50メートル続く銀閣寺垣と呼ばれる竹垣を抜けると、国宝の銀閣(観音殿)があります。銀閣は2層の楼閣で、下層の心空殿は和様の書院風、上層の潮音閣は禅宗様の仏堂風に構成されています。金閣寺とは異なり、黒々とした漆色の簡素な佇まいの建物ですが、義政自身は金閣にならい、銀閣にも銀箔を張るつもりだったようです。しかしその時にはすでに財力が尽き、義政も病で亡くなったことから銀閣は銀箔で彩られることはありませんでした。それゆえに銀閣寺はわびやさびの美意識を生みだした東山文化の象徴となったのではないでしょうか。 |
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義政の持仏堂であった国宝の東求堂には、恵心僧都作といわれる阿弥陀如来像が安置されています。また東求堂の背面東側には最古の四畳半茶室があり、付書院と違棚が設けられています。 |
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月待山の麓に広がる庭園は、苔寺を真似て善阿弥によって作られたといわれ、上下2段に分かれた庭園は、上段が枯山水、下段は錦鏡池を中心に広がる池泉回遊式庭園になっています。白砂を盛って作られた「向月台」と、波のように広がる「銀沙灘」を前景におき、月待山から昇る月を観賞するために作られた名勝庭園です。 |
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銀閣寺は、戦火に巻き込まれたためほとんどが焼失してしまいましたが、唯一銀閣と東求堂が焼失を免れ、今日東山文化の貴重な遺構を見ることができます。 |
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世界遺産。 |
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