■ 赤山禅院 |
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比叡山延暦寺の塔頭寺院の一つで、天台守護神の赤山大明神を祀る神仏混淆のお寺。 京都御所の表鬼門にあたり、拝殿の上の金網をかぶせられた猿の置き物は、鬼門除けの役割を果たしています。 そのことから赤山禅院は方除けの神として信仰を集め、当寺の御札を家に貼ると鬼門除けになるといわれています。 また境内には、弁財天や七福神などのご利益どころもあり、カエデの多い赤山禅院は、紅葉の名所としても知られるお寺です。 |
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場所:京都市左京区修学院開根坊町18 |
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■ 修学院離宮 |
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後水尾上皇が1656年(明暦2)から約3年の年月をかけて造営した、総面積50万平方メートルという広大な山荘。 山裾の高低を利用して、上・中・下の3つの茶屋が造られ、それぞれ松並木でつながるつくりになっています。 上皇自身、70回以上、修学院離宮に足を運んだといわれ、特に上の茶屋の最高所に配された隣雲亭からは京都市外が一望でき、修学院離宮を代表する絶景の地です。 ※修学院離宮に参観には、事前に宮内庁に申込みが必要です。 |
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場所:京都市左京区修学院薮添 |
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■ 鷺森神社 |
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修学院一帯の産土神である鷺森神社は、貞観年間(859〜877年)に素戔鳴尊を祭神とし、比叡山の麓の赤山明神付近に祀られたのがはじまり。 古来、神の使いといわれた鷺がこの地に群をなして住みついたことからその名がついたといわれています。 鷺森神社は、応仁の乱で兵火に遭い、現在の修学院離宮に移されましたが、さらに修学院離宮の造営にあたって現在の地に移されました。秋の紅葉も美しく、鷺森神社は紅葉の穴場スポットにもなっているそうです。 |
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場所:京都市左京区修学院宮ノ脇町16 |
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■ 曼殊院 |
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延暦年間(782〜806年)に、最澄が比叡山に建立した堂がはじまり。1656年(明暦2)の良尚法親王の時に現在の地に移されました。 文明年間(1469〜87年)に慈運(伏見宮貞常法親王の子)が入寺して以後門跡寺院となり、「竹内門跡」とも呼ばれています。 良尚法親王の父・桂宮智仁親王が造営した桂離宮の影響を強く受けて建てられた、江戸時代初期の代表的書院造りの「曼殊院」。現在残る大書院、小書院、庫裡は移転時に建てられたもの(いずれも重要文化財)です。 大書院には、欄間の卍くずしや経巻や扇子の形をした杉戸の引手に通じる繊細な意匠が見られ、見どころいっぱいです。 また庭園は、小堀遠州好みの枯山水で、白砂に鶴島・亀島を配し、曼殊院型灯籠や梟の手水鉢、鶴島には樹齢400年という五葉の松などがあり、国の名勝にも指定されています。 |
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場所:京都市左京区一乗寺竹ノ内町42 |
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■ 円光寺 |
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1601年(慶長6)、徳川家康が足利学校の京分校を伏見に創建したのがはじまり。 その後この地に移され、現在は臨済宗南禅寺派のお寺です。 武士や僧侶の教育をした学校では、学問書などの多くの書籍物が刊行され、現存するものでは最古の木版版字が残っています。また書院前になる池泉回遊式庭園は「十牛の庭」と呼ばれ、四季折々の景観が楽しめます。 中でも秋は紅葉の名所として有名です。 |
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場所:京都市左京区一乗寺小谷町13 |
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■ 詩仙堂 |
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江戸時代の漢詩・書の大家である石川丈山が建てた草庵で、現在は「詩仙堂丈山寺」という曹洞宗の寺院。 詩仙堂の名は、丈山が36人の中国の詩人を選び、その肖像を狩野探幽・尚信に描かせ、自らも各詩人の詩を墨書した額を抱えた「詩仙の間」に由来します。 草庵は詩仙の間のほかにも、至楽巣(猟芸巣)、躍淵軒、嘯月楼があり、これらの建物を総称して「凹凸か(おうとつか。凸凹した土地に建てられた住居のこと)」といいます。 「凹凸か」の前面には、白砂にツツジやサザンカを配した丈山好みの唐様庭園があり、境内一円が国の史跡に指定されています。丈山はここで没するまでの31年間隠棲し、一歩も外出しないで過ごしました。 |
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場所:京都市左京区一乗寺門口町27 |
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■ 八大神社 |
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1294年(永仁2)に創建されたと伝えられ、八坂神社と同じ素戔鳴尊が祀られていることから”北の祗園”と呼ばれる「八大神社」。当社は応仁の乱の兵火によって焼失してしまったため、現存の建物は1596年(慶長元)に再建されたものです。 八大神社の境内には、宮本武蔵が決闘した当時の「下り松」や、宮本武蔵の像があります。 |
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場所:京都市左京区一乗寺松原町1 |
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■ 狸谷不動院 |
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平安京の鬼門に当たるため、桓武天皇が不動明王を安置し、都の守護神としたのがはじまり。 明治時代に荒廃しましたが、1947年(昭和22)に亮栄が懸崖造りの本堂をはじめ、堂宇を整備しました。真言宗の単立寺院で、本尊の不動明王は、阿弥陀如来と如意輪観音の顔を持つ三尊合体仏です。 現在は、交通安全、災難除け、芸能上達祈願の寺として知られ、毎月3日はお不動さんの縁日が行われています。 |
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場所:京都市左京区一乗寺松原町6 |
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■ 金福寺 |
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平安時代初期に円仁が創建した寺を、江戸時代に鉄舟和尚が再興し、臨済宗のお寺となった「金福寺」。鉄舟和尚と交流があった松尾芭蕉がしばしばここを訪ねたことから、和尚は境内の庵を「芭蕉庵」と名付け、のちに与謝蕪村によって庵が再興されました。 境内には、与謝蕪村の墓や門下の句碑があります。 また金福寺は、舟橋聖一の『花の生涯』に登場します。 井伊直弼の女性スパイ・村山たか女が、安政の大獄で刑に処せられ、終生暮らした寺としても知られるお寺です。 |
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場所:京都市左京区一乗寺才形町20 |
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■ 一乗寺下り松 |
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宮本武蔵と吉岡一門の決闘の地として有名な一乗寺界隈は、洛中から滋賀への交通の要所として古くから栄え、下り松と呼ばれるクロマツは、街道の目印だったそうです。 現在見られる下り松は、決闘時から数えて4代目に当たると伝えられています。 |
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場所:京都市左京区一乗寺下り松町 |
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■ 京都の旅行コース |
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