■ 三十三間堂 |
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平安時代、後白河上皇の勅願により平清盛によって建立された三十三間堂。しかしその後、1249年の大火で焼失してしまい、後嵯峨上皇によって1266年に再建されました。 本堂内陣の柱と柱の間が33あることから「三十三間堂」と呼ばれていますが、正式名称は「蓮華王院」といいます。 全長120メートルの本堂には、国宝の千手観音坐像(鎌倉時代の仏師・湛慶作)を中心に、左右には500体ずつの千手観音像が置かれ、その前景には本尊を守る形で、二十八部衆立像(国宝)や俵屋宗達の屏風画のモデルとなったといわれる風神雷神像(国宝)が安置されています。 |
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場所:京都市東山区三十三間堂廻り町657 |
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三十三間堂【お寺紹介】 |
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■ 養源院 |
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1594年(文禄3)、豊臣秀吉の側室・淀君が、父・浅井長政の供養のために建立した浄土真宗のお寺。長政の法号が寺の名の由来になっています。 養源院は、伏見城の遺構が移築されていることから、伏見城落城の際、自刃した鳥居元忠らの血痕が残る血天井があることで有名です。 また俵屋宗達の襖絵、杉戸絵や、狩野山楽の障壁画唐獅子などもあり、見どころの多いお寺です。 |
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場所:京都市東山区三十三間堂廻り町656 |
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■ 智積院 |
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1601年、豊臣秀吉の息子・鶴松の菩提寺であった祥雲寺の跡に、徳川家康が紀州根来山の寺を再興したことに始まる真言宗智山派の総本山。 中国の廬山を模したといわれる、書院の東に広がる庭園は名庭として知られ、国の名勝に指定されています。また堂内には長谷川等伯一門の障壁画が所蔵され、桃山文化の粋を堪能できます。 |
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場所:京都市東山区東大路七条下ル東瓦町 |
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■ 京都国立博物館 |
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1897年に開館した本館は、フランス・ドリック様式の洋館で、主に特別展で使用されています。 1万点を超える貴重な所蔵品は、陳列を替えながら新館で展示され、前庭に置かれたロダンの「考える人」像や馬町十三重石塔など野外展示も見逃せません。 |
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場所:京都市東山区茶屋町527 |
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■ 豊国神社 |
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豊臣秀吉を祀る神社。 1598年(慶長3)、秀吉の遺体を東山の阿弥陀ヶ峰に葬り、翌年、広壮な社殿がその山腹に創建されました。 しかし豊臣氏滅亡後、徳川家によって取り壊されてしまい、現在の社殿は明治になって旧方広寺大仏殿境内に再建されました。本殿正面に立つ唐門は、秀吉の居城だった伏見城の城門を移築したもので、国宝に指定されています。 また宝物館には、秀吉ゆかりの品々が公開されています。 |
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場所:京都市東山区大和大路正面茶屋町530 |
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■ 方広寺 |
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1586年(天正14)、豊臣秀吉が建立した天台宗の寺。 当時は奈良の大仏より大きい、盧遮那仏を安置する巨大な大仏殿がありましたが、天災や火災によって焼失。寺の再建が行われましたが、現在は本堂と大黒天堂、鐘楼のみ残ります。 そしてこの鐘楼の鐘の銘文「国家安康君臣豊楽」が大坂の陣の引き金となったことで知られる鐘です。 |
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場所:京都市東山区大和大路七条上ル |
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■ 京都の旅行コース |
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