■ 三千院 |
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妙法院、青蓮院と並ぶ天台宗三門跡のひとつ、最澄ゆかりの寺で知られる三千院。 三千院最大の見所である往生極楽院は、986年(寛和2)に恵心が父母の菩提のために姉の安養尼とともに建てたと伝えられます。堂内には阿弥陀如来と菩薩2体の三尊が安置されており、本堂とともに重要文化財に指定されています。 三千院の境内には、聚碧園と有清園の2つの池泉回遊式庭園があり、四季を通じて美しさを堪能できます。 中でも秋の紅葉が有名!さらに初夏に訪れた際は紫陽花苑へ。約3000本の紫陽花で彩られ大変美しいです。 |
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場所:京都市左京区大原来迎院町540 |
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三千院【お寺紹介】 |
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■ 実光院 |
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天台声明の根本道場として知られる勝林院の塔頭。 本院には、池泉観賞式の契心園と池泉回遊式の旧理覚院の2つの名庭があり、秋には美しい紅葉で彩られることで知られ、紅葉の名所として有名です。客殿には声明研究のための楽器や石川丈山ゆかりの「中国三十六詩仙」の模写を見ることができます。 |
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場所:京都市左京区大原勝林院町187 |
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■ 勝林院 |
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1013年(長和2)、寂源によって創建され、後に天台声明の根本道場となった「勝林院」。 1186年(文治2)に法然と円仁の説に異論を唱えた天台宗の僧・顕真が法然を当院に招き、専修念仏について問答した「大原談義」の場所として有名です。 勝林院には、この問答の際に法然の説が正しいことを光を放って証明したと伝えられる阿弥陀像が安置されており、「証拠の阿弥陀」と呼ばれています。 |
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場所:京都市左京区大原勝林院町187 |
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■ 宝泉院 |
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勝林院の塔頭。 平安末期の創建ですが、現在の建物は勝林院の住職の住居として江戸初期に建てられたものと見られています。 宝泉院といえば、客殿から柱を額に見立てて観賞する「額縁庭園」が有名です。 また伏見城落城の悲劇を伝える血天井や、樹齢500年とも、700年ともいわれる見事な五葉の松など見どころの多いお寺です。 |
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場所:京都市左京区大原勝林院町187 |
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■ 来迎院 |
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天台声明の発祥の地とされ、仁寿年間(851〜54年)に比叡山延暦寺を中興した円仁が創建したお寺。1109年(天仁2)に融通念仏の開祖・良忍によって再興され、「来迎院」と呼ばれるようになりました。寺の両脇を流れる呂川と津川は声明の音階を表し、「呂律(ろれつ)が回らない」という言い回しは、ここからきています。 静かな境内には、本尊の薬師・釈迦・阿弥陀如来(いずれも重要文化財)をまつる本堂がひっそりと建っています。また天台宗最高の質をもつ聖教(しょうぎょう)、古文書を伝わる如来蔵(経蔵)なども所蔵されています。 |
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場所:京都市左京区大原来迎院町537 |
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■ 音無の滝 |
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登り下りがきつい、京都・大原の山奥にある滝。 ”音無”の名の由来は、滝つぼに落下する水音が山肌に吸収されるからとも、天台声明や融通念仏宗を興した聖応大師良忍上人が、この滝に向かって声明の修行をしていたところ、声明の声と滝の声が和して、とうとう滝の音が聞こえなくなってしまったからともいわれています。 |
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場所:−−− |
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音無の滝【お寺紹介】 |
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■ 寂光院 |
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594年(推古2)、用明天皇の菩提を弔うために聖徳太子によって創建されたと伝わる古刹の尼寺。 平清盛の娘、建礼門院が、わが子・安徳天皇や平家一門の菩提を弔いながら余生を過ごした寺としても有名です。 本堂には本尊・六万躰地蔵菩薩立像(重要文化財)や建礼門院坐像などが安置されていましたが、2000年(平成12)5月9日未明の放火で焼失してしまいました。現在本堂は修復工事が行なわれ、新しくなった本堂を見ることができます。 |
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場所:京都市左京区大原草生町676 |
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寂光院【お寺紹介】 |
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■ 京都の旅行コース |
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