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桓武天皇に遷都を進言し、平安京の都造りを推し進めた和気清麻呂とその姉の和気広虫を祭神とする神社です。 |
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護王神社の確かな創建年はわかっていませんが、もとは和気氏の氏寺である高尾山神護寺の境内に清麻呂公の霊社として祀られ、「護法善神」と称されていました。1851年(嘉永4)に、孝明天皇が清麻呂公の功績を讃えて「正一位護王大明神」を授け、1874年(明治7)に「護王神社」と改称されました。 |
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1886年(明治19)には、明治天皇の勅命により現在の地に移され、その際、姉の広虫も合わせて祀られるようになりました。 |
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広虫は、京の孤児を引き取って養育した慈悲深い女性として知られ、そのため「子育て明神」と呼ばれて、育児の神として信仰を集めています。 |
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一方清麻呂公には、宇佐八幡宮神託事件で流罪になった折、300頭の猪に災難から護られたという故事が残っています。この故事にちなんで、護王神社では狛犬のかわりに猪像が置かれ、境内のあちらこちらにも霊猪像が置かれています。別名「いのしし神社」と呼ばれる護王神社では、毎年11月1日には亥子祭が行なわれています。 |
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また清麻呂公が猪に守護された際、不思議と痛めていた足が治ったことから、足腰の健康安全、病気怪我の回復にご利益があるとされ、足腰の痛み・怪我回復祈願に多くの方が訪れる神社です。 |
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