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鎌倉時代の末、禅林の双璧と称された大燈国師が、雲林院に小院を創建したのが始まり。花園上皇、後醍醐天皇の深い帰依を受け、上皇と天皇の祈願所になった、臨済宗大徳寺派の大本山です。 |
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大徳寺は、南禅寺と並んで五山の第一に位されましたが、室町時代が成立すると、足利尊氏と対立する南朝系とされ不遇の扱いを受けました。さらに応仁の乱で大部分の伽藍が焼失してしまい、再建は厳しいものに思われました。そんな中で、後土御門天皇の大徳寺再興の綸旨を受けて、1474年、一休禅師が堺の豪商の援助を得て再建に着手。その後、次第に往時の隆盛を取り戻していきました。 |
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広大な境内には、国宝の方丈、唐門、重文の法堂、勅使門、仏殿などと共に、20を超える塔頭が立ち並びます。 |
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1582年、本能寺の変で亡くなった織田信長の葬儀が豊臣秀吉の手によってこの地で執り行われ、翌年、信長の菩提所として総見院が建立されました。また諸大名により、大慈院、三玄院、黄梅院など塔頭の建造が相次ぎ、大徳寺は大名とのつながりが強い寺です。 |
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また千利休や小堀遠州らが山内に庵を結び、千利休の墓所もあることから、茶道との結びつきも深いことでも有名です。 |
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境内拝観は自由(9:00〜16:30)ですが、常時一般公開している塔頭は、大仙院、竜源院、瑞峰院、高桐院の4院のみです。 |
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