■ 木屋町通周辺の維新史跡 |
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■ 桂小五郎寓居跡(料亭幾松) |
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明治維新史に名を残す桂小五郎(木戸孝充)と芸者・幾松(後の夫人)が暮らした宿として知られる幾松(国の登録有形文化財に指定)。約190年前に長州藩控屋敷として建てられたのが始まりです。 鴨川に面した幾松の部屋には、川端龍子画の幾松の肖像画や桂小五郎直筆の掛け軸が飾られ、新撰組に襲撃された際に桂小五郎が潜んだ長持ち(映画やドラマで、近藤勇にたんかを切った幾松のシーンで有名なところです)や吊天上、抜け穴などが当時のまま残されています。 |
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場所:京都市中京区木屋町通御池上ル |
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■ 佐久間象山遭難地 |
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勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰らの師で、東西両洋の学問を修めていた佐久間象山。 1864年(元治元)7月11日、開国論者である山階宮家へ向かうべく自宅を出た直後に暗殺されました。54歳でした。 |
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場所:京都市中京区木屋町通御池上ル |
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■ 大村益次郎遭難地 |
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大村益次郎は周防出身の兵学者で戊辰戦争の軍事指導、明治政府の兵部大輔としても活躍した人物です。 しかし1869年、徴兵制を進め、欧化政策に反対する攘夷派浪士に斬られ、その傷がもとで2ヶ月後に死去しました。 暗殺の時期は5年ほどずれますが、佐久間象山と大村益次郎は同じ付近で暗殺され、高瀬川沿いに遭難の地碑が2つ並んで立っています。 |
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場所:京都市中京区木屋町通御池上ル |
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■ 長州藩邸跡 |
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江戸初期、高瀬川一之舟入近くに建てられた長州藩邸。 幕末には尊王攘夷派の一大拠点となりましたが、蛤御門の変(禁門の変)で類焼してしまいました。 現在は、京都ホテルオークラの一角に跡碑が立つとともに、近年桂小五郎の等身大の銅像も建てられ新しい名所にもなっています。 |
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場所:京都市中京区河原町御池 京都ホテルオークラ |
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■ 武市瑞山寓居跡 |
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土佐藩の尊攘派志士であった武市瑞山(武市半平太)が、京都で暮らしたところ。 武市瑞山は、土佐勤王党を組織して藩内の公武合体派を退け、藩論を尊王攘夷へと導こうと務めた人物です。 上洛した際、京都での拠点としてはじめは土佐藩邸を使っていましたが、密議を行うためにこちらに移りました。 1863年(文久3)に藩論が再び公武合体論に傾くと共に弾圧され、後に武市瑞山は切腹となりました。 |
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場所:京都市中京区木屋町通三条上ル |
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■ 吉村寅太郎寓居跡 |
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土佐藩出身の尊王攘夷派の志士、吉村寅太郎が1863年(文久3)に仮住まいをしていた場所です。 吉村寅太郎は、武市瑞山(武市半平太)の教えを受けて「勤王党」に加わった人物。 後に、中山忠光らと「天誅組」をを起して、大和五条(現・奈良県五条市)の幕府代官所を占領しましたが、討伐を受け、大和鷲家口で戦死しました。27才でした。 |
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場所:京都市中京区木屋町通三条上ル |
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■ 池田屋騒動之址 |
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池田屋騒動は、1864年(元治元)6月、三条小橋の旅籠池田屋に集まった尊攘派を、近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助ら新選組が襲撃。多数の死傷者と逮捕者を出した幕末史に残る大事件です。 この騒動によって新選組の名が世間に広まることとなりました。 現在、池田屋跡には石碑が立っています。 |
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場所:京都市中京区三条通木屋町西入ル北側 |
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■ 坂本龍馬寓居跡(酢屋) |
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高瀬川によって運ばれた材木を商う材木商「酢屋」。 1867年(慶応3)6月、坂本龍馬はその酢屋に海援隊の屯所を置き、自らも宿舎としました。 龍馬はこの酢屋の2階の出格子から高瀬川目掛けてピストルの試し撃ちをしたといわれています。 酢屋では、毎年、坂本龍馬の命日である11月15日に追悼展を開き、ここでしか見ることのできない門外不出の貴重な品々が公開されています。 |
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場所:京都市中京区河原町通三条下ル龍馬通東入ル |
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■ 土佐藩邸跡 |
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江戸初期から、高瀬川沿いの旧立誠小学校から河原町通にかけて土佐藩邸がありました。 現在、高瀬川沿いに跡碑が立っています。 またそこから少し西側に鎮座している土佐稲荷(岬神社)は、もと藩邸内に祀られていた神社で、境内に龍馬の像と写真が掲げられています。 |
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場所:京都市中京区木屋町通蛸薬師西南角 |
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■ 坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地 |
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坂本龍馬は、土佐藩御用商人を勤めていた醤油商・近江屋に襲撃を受ける約1ヶ月前から宿を移し、身を潜めていました。 しかし1867年(慶応3)11月15日の夜、幕府見廻組の刺客の襲撃を受け、同席していた中岡慎太郎とともに暗殺されました。 坂本龍馬33歳、中岡慎太郎29歳でした。 現在その地には石碑が立っています。 |
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場所:京都市中京区河原町通蛸薬師下ル |
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■ 新選組 |
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